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営業マン蘇生の物語-おもしろい営業への道I-第一話

作成者 admin 最終変更日時 2010年02月15日 17時39分

 

 わたしは現在「営業変革」「営業力強化」といった営業にまつわるコンサルティングを行っている。そして、営業が好きであり、おもしろく、この仕事が人に誇れるものであると確信している。なぜそうなれたのか?特別の才能があったわけではない。でも結果として、わたしのいままでの30数年にわたるビジネス経験が、いまのためにあった、といえるほど、わたしは幸運に恵まれた。その幸運は、いまから見ると幸運であるが、その時は不運としかいえないことも多々あった。しかしたくさんの方から助けていただき、一つ一つ学習して、嫌いだった営業という職業が好きになっていった。一言でいうと「売れない営業マン」からの蘇生のストーリーであり、楽しくそして成果も出す「おもしろい営業」への道でもある。このストーリーは私だけではなく、誰にでも起こりえる。これからそれを語ってみよう。

building

第一話「日本一売れない営業マンからの出発」

 わたしの仕事人生は富士ゼロックス株式会社 京都営業所から始まった。1978年新卒として富士ゼロックスに入社し、6ヶ月の営業研修を経て、京都営業所にコピー販売の営業として配属となった。深く考えずに面接を受け、たまたま入ってしまったわたしは富士ゼロックスでは新入社員が全員営業職になるということもよく理解していなかった。というわけで営業研修を受けても、なかなか身が入らず、研修期間中の実習でも1台の販売実績も残せなかった。同期のメンバーが何台も契約しているのに。自分が営業活動を行うということを直視しなかったわたしは、貴重な研修時間を無為に過ごした。その後、自分が営業教育を行う立場になって、その研修内容のすばらしさは実感するわけであるが、受け入れ態勢のない人間に効果的な研修を行うことは難しい。営業としてもスキルをほとんど習得せず、6ヶ月に渡る長丁場の新人研修は終了した。ここでわたしが得たものは、富士ゼロックス営業社員の理想像:ロールモデルを見つけたことであった。我々を教育してくれたトレーナーはそれこそ眩しかった。こうなりたいと心から憧れた。

 さて、このような者が配属されてきたので、受け入れ側も驚いたみたいだった。「ほんとうに1台も売れなかったのか?」と不思議そうに聞かれたことをいまも鮮明に憶えている。

 当時、富士ゼロックスの各地域の営業体制は、地場の大手ユーザー企業や官公庁を担当するベテラン営業(大手アカウント営業マン)・地場大手で口座がない企業を中心に担当する中堅営業(アカウント営業マン)・テリトリーでの新規開拓を行う新人から5年生くらいまでのジュニア営業(テリトリー営業マン)・ユーザーだけを担当するカストマー営業、が複数のマネージャーのもと組織化されて、活動していた。大手アカウント営業マンは当時から複写印刷に関する豊富な知識を持ち、提案型の営業活動を展開していた。当然お客様からの評価も高く、常に好業績であり、彼らからはさまざまな成功事例が発信されていた。わたしが「こうないたい」と感じた営業像はこの大手アカウント営業マンだった。わたしが二度目に感じたロールモデルだった。

 さて、テリトリー営業マンとして割り当てられた担当地域は、京都の中心、呉服関連の問屋さん街「室町」「新町」を含む地域だった。わたしのロールモデルは提案型営業だったが、実際の活動は、「お願い営業マン」だった。毎日数十件の飛込み訪問を行い、ひたすら持ち込みデモをとってくる日々が続いた。持ち込みデモとは、複写機を見込み客(営業側が、これからお客様になってもらおうと思っている対象先)に持ち込んで1週間くらい使ってもらうことである。試で使ってもらうと、新しい機能が付加されているためお客様はついつい欲しくなってしまう。これを狙って、「とにかく1週間だけ無料で使ってください。」と頼み込むわけである。複写機市場も成長期だった当時は、持ち込みデモのうち30~50%くらいは契約となったので、持ち込みデモが成約の最大の先行指標だった。本来、営業活動はお客様のニーズ(こうしたいという要望や期待)を発掘して、ニーズを満たす商品の効用を提供するものであるが、わたしの営業活動は、持ち込みデモをとる事に終始した。古そうな複写機を使っているかまだ何も使っていない見込み客を訪問しては、持ち込みデモを勧誘する「お願い営業マン」(「お願いします」を連呼することからこのように呼ぶ)である。元々スキルがないところに「お願い営業マン」の日々であるから、実績は上がらない。ただし、たまにはこのパターンにはまる見込み客もあり、やめられない。一号機もこのパターンだった。しかし、コンスタントな成績は無理だった。

 「お願い営業マン」を続けている本人も、つまらない。同じ見込み客に同じお願いにしょっちゅう行くものだから、嫌がられる。持ち込みデモにしても下心ありありでお願いするわけだから、そうそうは許可いただけない。やっとOKいただいたお客様に複写機を持ち込むと、今度はなんとか買ってもらえるように、働きかける。お客様から「あんた、見るだけと言ったじゃないか!」と言われることもしばしば。うそをついているようで後ろめたい。この罪悪感は特につらかった。そのうち、わたしの顔を見ると見込み客の担当者は露骨にいやな顔をするようになる。やがて行くことが苦痛になり、喫茶店でさぼりだす。どこかで自分の営業のしかたに問題があると気づいてもよさそうなものであるが、当時のわたしは自分では気づくことができなかった。たくさんの先輩から貴重な助言を多数いただいたにもかかわらず。

 こんな日々が2年続き、わたしは「売れない営業」というレッテルも貼られ、低業績者研修の常連になっていた。当時は、各営業職別の全国順位表が半年に一度回ってきた。当然わたしは、下のほう。同期が華々しい活躍をしているのを尻目に、自分の順位をそっと見ると、約600名中550番くらい。みょうにほっとした。まだ自分より下もいるんだと。そこにいつもわたしを心配してくれていた先輩が通りかかり、その順位表を見て、言った。「おまえ、ほっとしているだろう。でもおまえより下の奴の実績値を見てみろ。ゼロだろう。全員病欠やなにかの理由で休職している人たちだ。まともに働いている中では、お前がゼロックスじゅうで最下位だ。」この言葉は衝撃だった。「おれは日本一売れない営業マンなのか!」わたしの営業としてのスタートはこのような最低状態から出発した。

第一話 おわり

第二話につづく・・・