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営業マン蘇生の物語-おもしろい営業への道II-第一話

作成者 admin 最終変更日時 2010年09月28日 09時15分

もいちろうが語る「営業マネジャー成長の物語-おもしろい営業への道Ⅱ」

 

営業チームを率いるマネジメントは難しい。しかしおもしろい。いまでもつくづく思う。

わたしは35歳でマネジャーとなり、営業、社内営業教育スタッフ、営業変革コンサルタントと職種は代わっても、約20年間顧客接点でマネジメントに携わった。直属の部下は多くて20名、少ないときは3名、組織のサイズは小さなチームから支社・統括部までいろいろだったが、うまくマネージできると、組織は活性化した。組織が活性化すると、時間をおいて業績にも反映する。しかしいつも組織が活性化したかと言うとそうではなかった。また、活性化した組織が成果を出すまでの時間も様々であった。すぐ成果につながったケースもあり、数年かかって、成果へと結びついたこともあった。いかに活性化した組織を作り、継続的な成果につなげるか。これはマネジャーにとって永遠のテーマだろう。部下にとってもよきマネジャーに出会うかどうかは、大問題だ。自分を理解し育ててくれるマネジャーと出会えば、大きく成長できるが、逆の場合は退職に追い込まれることもある。また経営者にとっても、よきマネジャーが確保できるかどうかが、企業の戦略遂行の帰趨を決める。だから、どの企業もマネジャーの育成と確保に懸命だ。

良きマネジャーとは、どのような存在なのだろうか?組織を活性化させ、成果を出し続けるには、どのようなマインド・技術・知識が必要なのか?このことを、わたしのマネジャーとしての失敗と成功をたどりながら、みなさんと一緒に考えていきたい。

私が組織人として活動し始めたのは1978年。それから今までの30余年は、時代の変わり目でもあった。日本は成長社会から成熟社会へとまだら模様で変化してきた。その時代を振り返りつつ、お話ししていこう。

まずは、ある上司の話から始めよう。

第一話「反面教師」

 1990年10月。内示。私は関連の販売会社への出向という形で、都内港区を管轄する営業所所長を務めることになった。嬉しい反面、多くの不安も抱えていた。私はまず、営業マネジャーたるもののイメージを持つために、セールス時代に出会った自分の上司を思い起こしてみることにした。私が真っ先に思い出したのは、上野マネジャーのことだ。『入社して4年目、あの時は本当に大変だった』と、私は振り返る……

 オフィス機器のセールスをしていた当時、私のいた支店では、特に何も仕掛けなくても毎月7、8台程度の新規・台替の受注があった。その支店のセールスは平均して7、8名であったため、今までの上司はメンバー全員にその台数を公平に振り分けていた。が、上野マネジャーが着任した途端、このいわばタナボタ受注の恩恵は受けられなくなってしまった。上野マネジャーは、その月に最も成績の良かったセールスに全台数を総取りさせたのである。

 上野マネジャーは常日頃から、何はさておいても営業は成績がすべて、売上が行かなければ意味がない、と言い続けていた。だから、タナボタはその“ごほうび”というわけか、と当時の私は思っていた。だが、ごほうびだけならまだ我慢できた。私たちにはさらに“お仕置き”も待っていたのだ。

 ある月、同僚の平川くんは月度の予算を達成できなかった。平川くんが厳しい叱責を受けたミーティングの翌朝、出社した私は、青ざめて立ちつくす平川くんに出くわした。

山田「あれ、どうしたの?」

平川「オレ、椅子を取り上げられちゃった……」

 見ると、平川くんの机には椅子がない。“お仕置き”として上野マネジャーが指示したのだという。しかたなく、平川くんはゴミ箱に板を置き、椅子代わりにして座ることにした。 『すごいことするなぁ』と、私は平川くんに同情した。だが、平川くんの不幸はそれからもまだ続いたのである。

椅子を取り上げられた平川くんは、気の毒なことに翌月も数字が行かなかった。すると、今度は支店長の隣に机を移動させられ、落ち着かない状況でデスクワークをするはめになった。さらに、その次の月も未達だった平川くんは机まで取り上げられ、ミーティング用テーブルでうなだれる日々が続いたのだ。

 こんなこともあった。メンバーにはそれぞれ担当エリアがあり、会社には移動手段として車や自転車が用意してあった。それを上野マネジャーは、成績トップの人間が好きな乗り物を選べるようにしたのだ。真夏に汗をぬぐいながら顧客のところまで延々と歩いて行く、私にはそんな記憶がある。その時トップセールスはエアコンの効いた車に乗り、目と鼻の先にある客先へ涼しい顔で出かけていたのだ。チーム全体で見れば、こんな非効率なことはない。が、要するに、上野マネジャーは意図的にセールス同士の熾烈な競争を仕掛けていたのである。

 こんな状況が1年続いた。同僚はみんな敵、そういう雰囲気がチームに流れていた。契約書を机の中に入れておくと誰かに見られてしまう、だから皆カバンの中に隠して持ち歩く。締め日の午後にならなければ、誰がどれだけ売上があるのかわからない。自分の成功事例は死んでも人に教えたくない。チームの中には、助け合うなどというような空気はまったくない。自分のことを守るだけで精一杯。そんな殺伐としたチームになったのである。

 ちなみに、チームのトップセールスはかなりの成績を残し、社内で表彰された。しかし、ただ単にこんな状況を勝ち抜いただけの人物を、いったい誰が称賛するだろう? 表彰式はしらけきり、拍手もなかった。あとでわかったことだが、そのトップセールスは成績にこだわるあまり、架空売上計上のようなことにまで手を染めていたのだ。

 チームとしての業績も、当初は良かったものの徐々に低下していき、やがて上野マネジャーは異動となり、2年間でこのチームは解散となった。いまでもこの時のメンバーとは会いたいとは思わない。上野マネジャーは、その後あちこちの拠点を転々としたあげく、会社を去って行った。私にとっては、つらかったが、とても勉強にもなった2年間だった。

皆さんはこんな“マネジメント”を体験したこと、ありませんか。まだ高度経済成長が続いていた頃ですので、このケースは極端な例かもしれない。しかし、やり方や程度の差こそあれ、このようなマネジメントが形を変えて今も営業部隊では横行しているのではないだろうか。短期的に業績が上がってしまうので、このやり方に手を染めるマネジャーは後を絶たないのだ。ここでは、お客様を大切にする風土・社員相互に助け合う風土は育たない。お客様は売上を稼ぐ対象、下手をするとだます対象にすらなってしまう。ルールの抜け道を探し、とにかく業績だけを追い求める。このチームでは、信頼関係はなく、他者は敵に近い存在だ。誰かが困っていてもだれも助けない。チームのためになにかするなんていう空気は存在しない。そんなチームになります。

私はこのチームを反面教師として、マネジャーとしてスタートした。

第一話 おわり