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光り人、光りごと Hikari‐bito,Hikari‐goto:支援を受けるとき、ただ一つだけ求めたいこと

作成者 admin 最終変更日時 2010年02月22日 14時13分

① 支援を受けるとき、ただ一つだけ求めたいこと building


  こんにちは。瀬戸川礼子です。今回から、支援研究会のホームページにてコラムを書かせていただくことになりました。このコラムでは、日ごろ、取材などでお会いする「光り輝く人」、「光ること」をご紹介したいと思います。はじめの2回は、自己紹介を兼ねながら、私の感じる「支援」をお伝えしていきます。

 私の社会人人生は、ヤマハエレクトーン教室の先生からスタートしました。音楽の楽しさを伝える仕事は、人生を豊かにする「支援」とも言え、天職だと公言していました。それはそれは楽しい毎日でした。ところが、生徒の伸びやかな成長に対して、自分の成長の鈍化を実感し、4年間勤めて退職しました。しかし、3~60歳まで、延べ200人の生徒さんのキラキラした瞳はいまでも大切な宝物です。

 次の1年間は、大好きなニューヨークで過ごしました。それまでに2回、この街に一人旅をしており、いつか摩天楼の中で春夏秋冬を過ごしたいと夢見ていました。

 留学で多少身に付いた英語は、すでに大半が忘却の彼方ですが、日本を離れたからこそ得られた出会い、そして気付きは、決して消えることのない心の財産として残っています。

 気付きで最も大きかったのは、「日本はいい国だ」と生まれて初めて思えたことです。優柔不断さは優しさに、主張の下手さは謙虚さに、古臭い風習は古来の伝統にーー。短所だと毛嫌いしていたことが長所に見えました。それに、安全で、清潔で、親切で、律儀で、丁寧で。

 当たり前だったことが、実は珍しいことであり、素晴らしいことだったのです。自国を肯定できることは素敵なことだと知りました。

 また、「人種のるつぼ」といわれる街に身を置いたことで、「人も国も多様で、だから面白いんだ」と、相手を受容することの豊かさも実感できました。

 いま、もしかするとこの2つは「支援」にもつながる考えかもしれないと思えてくるのです。 つまり、人や何かを支援しようとするとき、まず、自分自身や自分の置かれた環境を肯定できる土台があって、その上で相手を受容することが可能になる、そう考えています。

 自分が嫌いだ、自分の周りは嫌な人ばかりだ、自分の置かれた状況は最悪だ。このように思っている人が支援をしたらどうなるでしょう。恐らく、その人はときどきは笑顔でしょうが、多くは暗い顔で文句を言いながら「いいこと」をしようとするでしょう。 本人は「いいことをしている自分」に満足するかもしれませんし、物理的な観点でいえば、人手はないよりあったほうがいいかもしれません。しかし心理的な面から見れば、それは支援という名でカムフラージュした「劣等感の押し付け」とも言えそうです。支援される方も、「ありがたい」よりも「申し訳ない」という思いが強くなり、辛いのではないでしょうか。

 もし、私が支援を受ける立場になったら、ただ一つのことを求めたいと思います。 それは、「楽しそうにしていてくれること」です。 楽しそうということは、明るかったり、嬉しそうだったり、笑顔だったり、微笑んでいたりしてくれることです。それによって、どれほど心が救われるかしれません。

 顧客満足についての講演を行なうとき、よく最後にお伝えすることがあります。

 「人が喜んでくれることは、本来とてもうれしいこと。人としてこれ以上、うれしいことはないかもしれません」と。

 支援も同じだと思います。人を支援できることは人として素晴らしいことです。素晴らしいことなのですから、それをしている自分も、その相手もどちらも肯定して「楽しむ」ことが支援を行なう上でのスタートと考えています。

次回も自己紹介の後篇として、「支援」について考えていきたい思います。
始まりました本コラム「光り人、光ごと」、どうぞよろしくお付き合いください♪