パーソナルツール
現在の場所: ホーム 書庫 Shimamura 支援の萌芽とそのフィールドの紹介:終戦直後のNational Bulk Carrier呉工場の現場での支援(上)
« 2017年 11月 »
11月
1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930
 

支援の萌芽とそのフィールドの紹介:終戦直後のNational Bulk Carrier呉工場の現場での支援(上)

作成者 admin 最終変更日時 2010年02月22日 14時20分

支援の萌芽とそのフィールドの紹介

 終戦直後のNational Bulk Carrier呉工場の現場での支援(上)

平成22年2月13日

島村 治雄

 舘岡先生の『利他性の経済学』によれば、リザルトパラダイムにおいては管理行動様式が適切であるがプロセスパラダイムにおいては支援行動様式が適切になるといわれている。支援関係においては、被支援者(支援を受ける者)の目的を正しく理解して支援者が行動することがレバレッジになる。ship

 筆者はプロセスパラダイムに移行以前の企業内外でも、技術革新、新製品の創出などダイナミックに企業活動が変化する際には支援関係の萌芽が発生していると観察している。ほとんどの事例は、いわゆる『支援を受ける、支援する』という関係についての意識はいまだ芽生えていないのであるが、結果として支援関係が成立し、相互に働く喜びが発生していると考えられる。今後の支援関係を究明していく上でも、過去の支援関係の萌芽とその際のフィールドの状況を良く調査研究することに意味があると考える。今後シリーズで、過去の支援の萌芽とそのフィールドを紹介していこうと思う。 (1) 終戦直後のNational Bulk Carrier(以下NBCと略す)呉工場における支援関係(上) 戦艦大和を製造した呉海軍工廠は終戦後に播磨造船に貸与され、GHQなどの艦艇の修理や沈没船のサルベージで息をつないでいたが、1951年ラドウィックが社長であるNBCに貸与されNBC所有タンカーの製造を開始することとなった。アメリカで完成した船穀熔接工法、ブロック工法、“プロダクション・コントロール・システム”をもとに、大和を建造した優秀な技師・工員たちによりすぐれた工法を開発し、当時の世界最大のタンカーを次々に建造し、外貨不足の日本に大きな貢献をして、さらに日本の造船業界が世界のトップに君臨する礎を築いた。新しい工法、革命的な生産技術の成功の裏にある、結果として支援関係になっている事例を考察したい。 まずは戦後NBC呉造船所が出来た当時のタンカー製造データを紹介する。

(1) 終戦直後のNational Bulk Carrier(以下NBCと略す)呉工場における支援関係(上)

 

 戦艦大和を製造した呉海軍工廠は終戦後に播磨造船に貸与され、GHQなどの艦艇の修理や沈没船のサルベージで息をつないでいたが、1951年ラドウィックが社長であるNBCに貸与されNBC所有タンカーの製造を開始することとなった。アメリカで完成した船穀熔接工法、ブロック工法、“プロダクション・コントロール・システム”をもとに、大和を建造した優秀な技師・工員たちによりすぐれた工法を開発し、当時の世界最大のタンカーを次々に建造し、外貨不足の日本に大きな貢献をして、さらに日本の造船業界が世界のトップに君臨する礎を築いた。新しい工法、革命的な生産技術の成功の裏にある、結果として支援関係になっている事例を考察したい。 まずは戦後NBC呉造船所が出来た当時のタンカー製造データを紹介する。

National Bulk National Bulk 呉造船所初期タンカー製造リスト


起工年月 船名 重量トン 進水年月 船殻製造期間 工法特徴 艤装工数
 1  1952年3月  第1号線
38,000
1952年11月
7ヶ月10日
船殻ブロック工法
237,987時間
     ペトロクレ             ↑
 2  1952年7月  第2号船  38,000  1953年1月 7ヶ月を切る 船殻ブロック+早期艤装     |
                34%削減
 3  1952年11月 第3号船
38,000
1953年2月
3ヵ月半
船殻ブロック+艤装一部ブロック     |
                  ↓
 4  1953年3月 第4号船
38,000
1953年
  船殻と艤装完全ブロック工法  154,970時間
    ペトロエンペラー
         
 5  1958年7月   114,000
1958年12月
5ヶ月
船殻と艤装完全ブロック工法  
     ユバースアポロ          

(『戦艦大和の遺産』前間孝則著の文章から作表)(船穀とは船の外枠のこと)

 NBCはラドウィック社長のもとアメリカ式合理主義のお手本のような船会社であり、建造コスト削減のため呉造船所を借用した。タービンや減速機などアメリカ海軍の新品払下げ品をストックしておりその活用でコストを下げたが、鋼板など必要な資材にはおしみなく大金をつぎ込んだ。「船を止めないようにするため、故障を起こさない船を作る」という考えである。そしてアメリカで実用化された船穀全熔接を採用し、当時溶接技術では30年は遅れていたといわれる日本の造船工場に自動溶接機と優秀な技師を送り込んで懇切に指導した。当時日本の鋼板は硫黄分が多く熔接による亀裂が生じやすいので鋼材メーカーとの共同研究により、熔接に適した鋼材の開発も行った。そのうえで上記のとおりまず4隻の当時世界最大のタンカーを発注した。

 この4隻のタンカー建造にあたり、呉造船所は熔接技術を最大に生かす船穀をブロックに分けてプレハブ化を行い、さらにブロック毎に艤装もプレハブ化する技術を開発して上記表のとおり船穀、艤装とも驚異的な工数短縮を実現して、NBC本社を驚かせた。この技術革新の中では船穀と艤装の設計に現場との支援関係が発生していることを詳述する。また、この技術革新はNBC呉造船所にとどめておかず、三菱造船を始め他社からの見学者に隠すことなくすべてを公開した。それにより日本の造船業界が当時の世界一に飛躍することになる。他社への支援も発生したのである。まずこれらの支援関係をもたらした背景、フィールドについて説明したい。

 NBC呉造船所で支援関係が発生した背景

  1. 呉造船所は空襲で壊滅的な被害を受けたが、第3ドック(建造能力56,000重量トン)第4ドック(建造能力160,000重量トン)、造船ドック(150,000重量トン)2500台の工作機械をNBCへ10年後買い戻し特約付きで売却された。そして戦艦大和設計に参画した技手や「ボイラーの取り付け神様、エンジン取り付けの神様」と言われた優秀な工員たちが多くいたことがあげられる。彼らは自分たちの技術に絶対の自信を持ち大和建造に比べればタンカーなどやさしいものだという自負心を持っているが、やはり自分たちの技術を持ってしてもアメリカにかなわなかったことで生まれた謙虚さ、あたらしい技術優秀さを素直に評価できる柔軟さを持ち合わせていた。「NBさんの言うことだから・・・」とかたくなに自説を主張せず妥協する寛容さを持っていた。もちろん、心の底には、GHQに敵視されていた呉造船所がアメリカ資本ではあれ生き返り、自分たちも生活の苦しみから脱却して自信のある技術を十分に活用できる喜びがあったことは間違いない。

  2. 進藤恒技術部長以下技術陣は、従来の、まずキールを置いてから現場においてすべて自前で作り上げるシップビルディング方式に疑問を感じていた。敗戦直前には、おい詰められた日本軍は造船会社にも飛行機の製造を命じていたので、精密な図面に基づいてパーツを組み立てていく大量生産方式の洗礼を受けており、造船にもそのノウハウを活用したいという意識が旺盛であった。そしてNBCの指示を忠実に守ることでなく、日本の造船技術は負けていないぞと、より合理的、より効果のあるアイデア、生産方法を貪欲に追及していった。そして従来の造船会社が船会社に命じられるままに一船ずつオーダー設計をしていたのに対し、視点を顧客である船会社の満足に置いて、自分たちの提供できる最良のアイデアを相手に提示してより良い船の製造を心がけた。

  3. 技術のトップである進藤部長が、戦艦大和建造の基礎となった西島大佐の生産方式(トヨタ生産方式のお手本となったもの)を完全に把握しており、アメリカ式の生産管理をじゅうぶんに咀嚼して呉工場からの提案をどしどしNBC本社にぶつけていった。そして、技術者、設計者は現場の事情をよく調べておかなければ良いものはできないと現場へ自ら出かけるが常であった。(従来の造船会社では設計者は基本設計に携わり、細かい設計は艤装関係者に任せているのが普通であった) その結果、首尾一貫して現場状況は進藤部長の管理下に収まった。部下たちは闊達な議論を通して新しいやり方を提案して現場に生かしていき、部長がNBC本社に対して説明と責任を負った。したがって部下はこれだけ働きやすい組織はないと自分の持てる能力をフルに発揮することが出来た。このトップの姿勢が支援関係の大きな力となった。

  4. NBCと日本政府の売買契約には、『NBC呉で建造に使う技術については日本の造船業界に対してオープンドアとする』との特約条項があった。当時の運輸省船舶局甘利局長の指示であったが、進藤部長以下の技術者はそれを盾に他社の技術者にどんなノウハウもあまさず伝えた。敗戦国で先進技術の遅れを取り戻さなければならない日本にとって、そして造船業界にとって、敵は先進国であり、国内他社の技術者は、ともに手を携えて遅れを取り戻す努力をする仲間であった。したがって呉造船所のノウハウを教える見返りとして、各社の技術情報を貰えるメリットもあった。

(次号では具体的な支援関係の内容について説明する)

参考文献 『戦艦大和の遺産 上下』前間孝則著、『日本の造船業 世界の王座を何時まで守れるか』伊丹敬之著