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支援研究会とは?

作成者 admin 最終変更日時 2010年05月10日 08時18分

支援研究会とは? たてさん

SHIEN(支援)研究会とは…No.1

 北アルプスの朝は早い。水明館佳留萱山荘の湯船にはコンコンと湯水が湧き出ており、旭日が水面から岩盤に照り返している。2031年4月、SHIEN研合宿の一コマである。二人の会話が聞こえてくる。


してもらう子;「SHIEN(支援)研究会って、何なのですか?あっー熱い」

初老の…
支援博士;「うーむ。一言でいうのは難しいな。何せ、この会ができた頃、ある会員が友達から、同じ質問を受けたとき、何と説明していいか言えないのが、支援研究会だと言ったくらいなんじゃよ。そこが面白いって」


してもらう子;「ふーん…。」

支援博士;「当時は、今と違って自分のことで皆精一杯だったんだ。科学も随分違っていた。今でこそ当たり前になっている心とか身体に焦点を当てるというより、物質的で外面的な現象が中心だったんだね。ほら、みてご覧、水だって喜んでるだろ。こういうことが当時は文学の世界だけの出来事だった。」


してもらう子;「へえー、不思議だね。そんな時代があったんだ。」

支援博士;「そうさ、支援研究会そのものは、平成17年2月9日に舘岡康雄という男が作田稔という男の誘導で偶発的に誕生したと書いてある。コニカミノルタという日本の会社の会議室で、舘岡がHRMという団体で2回目の講演をしたときだそうだ。それを伊藤秀典と中嶋隆がバックアップして会として体裁が整っていくんだな(写真参照)。」


してもらう子;「あっ、湯花が浮いてる…。で、どんなおはなしだったの?」

支援博士;「うーむ。私も聴いたわけではないから何ともいえないが、そうだDVDがあるから聴いてご覧(DVD参照)。とにかく舘岡という男は、人々が新しい時代に入っていくと信念していて、それをリザルトパラダイムからプロセスパラダイムへ、そしてコーズパラダイムへ入っていくと唱道したんだな。」


してもらう子;「ふーーん。」

支援博士;「じゃが、最初の頃は大変だったのさ。そうそう、この頃、渡辺茂一郎とか小野知己とか岡野洋美とかが加わって、活動が進んでいくんだ。池田玲子という女性が東京海洋大学というところにいたそうだ。その人が会場を貸してくれた楽水会館で毎年研究発表会が行なわれていたとある。とにかく彼ら自身が、リザルトパラダイムの社会の中にどっぷり浸っていたし、リザルトパラダイムの教育をしっかり受けていたから、どうもしっくり進まないことが多かった。舘岡自身もどれだけわかっていたのか…?」


してもらう子;「それじゃ、駄目じゃん」

支援博士;「とにかく、わからんって声もあってな、混乱することもあったそうじゃ。わしと同じくらいの年配の賢い男がおってな、大分わかろうとして歩みよったんじゃが、結局あきらめたと記録されている。本当のところは今となってはわからんがな。いずれにせよ、リザルトパラダイム的には、激しい活動というわけではなかったが、続いていたのだそうじゃ。じゃが、一つひとつの集まりは、時代の変化を感じていた人が企画し、時代を感じた多くの人が参加したせいか、とっても柔らかな集まりとなり、概ね心が“やさしい気持ち”になってみなが帰っていったそうじゃよ。だが、どうしてそういうことが再現されるのかは、ほとんど誰もわかっていなかったのじゃ。この頃、小野は研究会にでると、いつもふわふわの気持ちになる、それが不思議だ不思議だといって、大阪から東京にわざわざ何度もでてきていたのだそうだ」


してもらう子;「どうしたら“やさしい気持ち”になれるかがわかっていなかったんだね。今では当たり前なのに…。」

支援博士;「そうそう、だからそれはSHIEN研究会の成果なんじゃよ。とにかくその程度の動きがな、平成21年の12月に事務局体制ができて大きく変わっていくんだな。舘岡自身もあることを掴んでいったようだ。」


してもらう子;「へえー。面白い…。どんなことが起きていくの?」

支援博士;「この辺にしないか?どうも逆上せてきたみたいだ。続きは今度じゃな…」

つづく・・・

hana01

 

 


初めてのコメントです

投稿者 無名ユーザ 投稿日時: 2010年02月16日 17時40分
興味深く、読ませて頂きました。
支援研の歴史についての続編が楽しみです。