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波蘭通信 第2回

作成者 admin 最終変更日時 2010年02月15日 17時52分

波蘭通信第2回:ポーランドの歴史

 筆者、歴史マニアのはしくれですので、ポーランドに赴任する際には改めてポーランドという国の歴史を勉強しなおしましたが、いやはや凄い歴史です。

 

 簡単に言えば、国が3回無くなっているんですね。第1回目は、18世紀のいわゆるポーランド分割です。当時のロシア・プロシア・オーストリアの三国によって、三回にわたって領土が蚕食され、ついには国家が消滅してしまう。

 

 実は、中世にはポーランドって大変な大国なんですね。国土も今の倍くらいありましたし、オスマントルコの第二回ウィーン包囲の際に当時のソビエスキ王が駆けつけてトルコ軍を破ったりしています。しかし、貴族階級と武士階級の闘争とか、特に国会が全員一致主義を取ったため国としての意思決定がなかなかできないなどの問題から、次第に周辺国の影響が強くなり、最後には国家の消滅にいたるわけです。一種の衆愚政治に陥ったと言うことですね。


 その後、ナポレオン時代に「ワルシャワ大公国」として復活するんですが、これもナポレオンの没落とともにロシアに圧倒されていきます。帝国内の属国であったり完全な版図に組み入れられたりしますが、とにかく独立国とはいえない状態になってしまいます。ショパンが国を出て、「革命」などを書いたのがこの時代ですね。 三回目は、第一次大戦後に独立したものの、第二次大戦でドイツとソ連に分割されてしまいます。これも全くひどい話ですが、ドイツにしてもソ連にしても、ポーランドを自国の勢力圏拡大の対象としか見なしていなかったようですね。


 ナチスの「ヨーロッパ新秩序計画」なんかでは、ポーランド人を奴隷状態に置くことがはっきりと規定されていますし、ソ連軍によって起こされた「カティンの森」事件も、ポーランド軍の再建を不可能にしようとする意図によるものとされています。ちなみに、第一次大戦末期、ポーランド軍はロシア奥深くに攻め込んでいますから、その復讐の意味もあったのかも知れませんし、何より脅威を除きたかったんでしょう。 さて、第二次大戦後、一応独立国となるものの、実態としてはソ連の衛星国で、主権ははなはだ限られたものでした。特に、領土的には大戦でソ連に奪われた土地はそのまま還らず、その代わり旧ドイツからソ連が切り取った領土が与えられました。ですから、今のポーランドの西半分は旧ドイツ領で、かつ住民はソ連に奪われた土地からの移住(たぶん強制)者なんですね(ドイツ人は追放され、そのうちのかなりの人数がドイツへの移動中に亡くなっており、これが現在まで独波両国の懸案になっています)。 そういう意味では、完全な独立を勝ち得たのは、旧ソ連の崩壊後と言えるでしょう。


 しかし、それだけにポーランド人の国民意識は極めて強いですね。また、現在ほぼ単一民族・単一語・単一宗教(ローマカソリック)になっているため、結束しやすい状況でもあります。ただ、それが第二次大戦による一種の「民族浄化」(主にドイツ人の追放とユダヤ人の抹殺)によってもたらされたものであることを考えると非常に複雑な気分にさせられてしまいますが。


  「支援」とのからみで言うと、「仲間(この場合はポーランド人)同士の支援」に比べて、「異文化・異民族間の支援」というのはいろいろな困難があり、それだけに興味ある問題であると言えるでしょうね。